樋口一葉(ひぐちいちよう)といえば5000円札の肖像として知られる人物です。

顔はよく知っていても、何をした人なのか具体的な功績まで知っている方は少ないかもしれませんね。

今回は、樋口一葉の功績やお札に選ばれた理由を解説します!

天才の略歴

1872年(0歳) 現在の東京都千代田区に生まれる

1877年(5歳) 本郷学校に入学

1878年(6歳) 私立吉川学校に入学

1883年(11歳) 私立青海学校小学中等科を首席で卒業

1886年(14歳) 著名な歌人が主催する「萩の舎」に入門

1888年(16歳) 樋口家の主となる

1891年(19歳) 小説の師となる半井桃水(なからいとうすい)と出会う

1892年(20歳) 小説家としてデビュー

1893年(21歳) 荒物屋を開業

1894年(22歳) 吉原遊郭の近くに転居

1895年(23歳) 「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」を執筆

1896年(24歳) 肺結核のため死去

駆け抜けた24年の生涯

年表からもわかるように、樋口一葉は24歳の若さで亡くなりました。

父や兄を亡くして16歳で樋口家の戸主となると、一家の生活を支えたり、婚約破棄されたり、恋人と引き裂かれたりと、かなり波乱万丈な人生だったようです。

父親は東京府の役人ですが金融業や不動産業もしていたため、幼い頃は裕福な家庭でしたが、父と兄が死去すると生活は一変。

樋口家の女戸主になるとともに、事業に失敗した父の借金を背負います。

森鴎外などの文化人から作品を絶賛され、小説家として評価されましたが、金銭的には恵まれない一生でした。

女に学問はいらない

樋口一葉は幼い頃から本好きで優秀で、父親はとても教育熱心でした。

しかし、母親の「女に学問はいらない」という教育方針によって泣く泣く進学をあきらめます。

進学できなかったことはとてもショックだったようで、見かねた父が和歌を習わせ、14歳のときに「萩の舎」に入門しました。

「萩の舎(はぎのや)」は当時の著名な歌人である中島歌子が主宰する歌塾で、元公家や大名家など上流階級の夫人や令嬢が1000人近く通っていました。

「萩の舎」では和歌の才能を発揮。入門した翌年、60人以上が集まる歌会で最高点を出しています。

同時期に入門した田辺花圃が小説「藪の鶯」を出版して33円(明治時代の1円=現代の2万円程度)もの原稿料を得たことを知り、樋口一葉も小説家を目指します。

恋多き女だった?

樋口一葉の作品は明治時代の身分の差や貧富の差、社会での女性の立場の弱さを軸に、男女の恋愛をテーマにしたものが多いです。

彼女が短い生涯で経験したさまざまなことが作品に反映されているのかもしれません。

婚約破棄を経験している

樋口一葉には渋谷三郎という許嫁(いいなずけ、婚約者)がいました。

しかし、父が亡くなり樋口家の戸主となったことで状況が一変。

婚約者が婿入りとなると高額の結納金が必要となりますが、借金があったためにお金は用意できず、婚約破棄となりました。

小説家として有名になると再度渋谷三郎に求婚されますが、結婚は断っています。

小説の師との大恋愛

小説家を志して弟子入りした「半井桃水(なからいとうすい)」とは恋仲だったと考えられています。

19歳と31歳という歳の差はあっても、2人とも独身。小説について意見を交わすうちに親密になりました。

何も問題ないように思えますが、明治時代は現在のように男女の自由な交際が認められていなかったこともあり、2人の仲は非難されました。

2人の噂が広まると「萩の舎」の中島歌子からも叱られてしまい、身を引きました。

会えなくなっても亡くなるまでずっと桃水に思いを寄せていたといわれ、これが生涯でただ一度の恋でした。

 

その他にも夏目漱石の兄との結婚話もあったそうで、この話が成立していれば夏目漱石の義理の姉となっていました。

奇跡の14か月

日本の文学史上に残る樋口一葉の名作の数々はわずか14か月、1年ちょっとの短い期間で書かれたものです。

樋口一葉の作品は女性ならではの視点で当時の庶民の生活を描いた作品が多いのが特徴で、美しい文体でわかりやすい点も評価されています。

 

「たけくらべ」

吉原遊郭に住む少女と僧侶の息子の淡い恋がテーマ。初恋を諦めて遊女になるしかない少女の運命を軸に、吉原を背景にした東京の子供たちの生活を描いた作品。

 

「大つごもり」

叔父のために、大晦日に奉公先からお金を盗んでしまった少女が主人公。親にお金をせびって遊びまわるお金持ちの息子と、年が越せないほど困窮する少女の貧富の差を描いた作品。

 

「十三夜」

裕福な家に嫁いだ女性を中心に、結婚が女性の幸せではないことを描く。個人の気持ちよりも家を優先しなければならない理不尽を訴えた作品。

 

「にごりえ」

人気の遊女と新旧2人のなじみ客による三角関係の修羅場。羽振りのいい新しい客と、思いを寄せる昔なじみの客との間で揺れ動く遊女の心情が描かれた作品。

樋口一葉の功績とは

小説家として後世に名を残したのはもちろんですが、女性の地位向上や社会進出に貢献したといわれています。

樋口一葉自身がそうであったように明治時代には女性の地位が低く、社会進出もほとんど認められていません。

彼女が生きた時代には女性に選挙権もなく、不倫の罪は女性だけが罰せられるもので、男女平等とは程遠い時代でした。

そんな時代に女性である樋口一葉は小説家として身を立てようとし、作品を通して女性に不利な社会制度や家庭内での女性の不遇など女性の生きにくさを訴えました。

なぜ樋口一葉がお札に?

樋口一葉がお札の肖像に選ばれた理由は2つあります。

まず、お札の肖像に選ばれる以下の基準を満たしていること。

  • 明治以降に活躍した文化人
  • 教科書にも載っている功績がある
  • 鮮明な顔写真が残っている

 

そして、次の5000円札は女性の肖像になると決まっていたこと。

それまでのお札の肖像は男性ばかりでしたが、女性の社会進出が推進される時代の流れを反映して初めて女性が肖像に選ばれることになりました。

明治時代の女性の文化人であり、女性の地位向上に貢献した功績から樋口一葉が選ばれたということです。

お札は20年程度で肖像が変わりますが、次の5000円札も津田梅子という女性です。

樋口一葉、天才の理由まとめ

樋口一葉は日本で初めて”職業として”小説を書いた女性です。

「日本初の女流作家」というと樋口一葉の前にも数人いますが、彼女たちは全員上流階級の女性なので、お金を得るために小説家になろうとしたのではありません。

まだ女性の地位が低い時代に、一家の生活のために、何よりも自分のために、結核の末期症状の中でも小説を書き続けました。

時代にも病にも負けず、師匠への恋心も諦めて小説家として生きた、とても意思が強い女性であったこと。これが天才の理由ではないでしょうか。

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